企画タイトル:コレクティヴ・カンファレンス
 
企画者:うらあやか、大久保あり、奥誠之、二藤建人
出演者:ARTISTS' GUILD、Ongoin Collective、gallery TOWED、国立奥多摩美術館、German Suplex Airlines、Chim↑Pom、Nadegata Instant Party、hanage、引込線2019実行委員会、ミルク倉庫+ココナッツ、四谷未確認スタジオ他
開催日時:11月4日(月)14:00~17:30
開催場所:ホール
 
 
<メニュー>
14:00-14:50 インタビュー:
企画者4人から各コレクティブの代表者へインタビューを行う。

14:50-15:40 ディスカッション:4つのトピック(「サバイブ」「業界」「態度表明」「戒律」※下記に補足有)を全参加者が4グループに分かれてディスカッションを行う(グループ間は行き来自由)。

ー休憩ー

15:50-16:30 ディスカッション:よりドメスティックなトピックを全参加者が複数グループに分かれてディスカッションを行う(グループ間は行き来自由)。

16:30-17:10 フリートーク

17:10-17:30 まとめ

 ※4つのトピックについて
- サバイブ
集団を運営していく上での経済的な工夫について。集団化したことによる利点or欠点。など
- 業界
アートシーン(に限らず)その集団が属する業界について。業界との距離。俯瞰してみる業界のいま。など。
- 態度表明
集団として持つ社会的な態度について。 社会的な問題に対しての態度を表明するorしない。など。
- 戒律
集団の組織化について。 戒律(ルール)があるorない。あった場合それがどう作用しているか。など

<企画者による趣旨説明>
そもそもの動機について、
ひととつるまず、個人で創作活動を行ってきた自分が、謀らずとも、つるみ、協働し、連帯し、企画を立ち上げ、運営し、困難を乗り越える集団の、期間限定ではあるが、いちおうのまとめ役となっている今...
あらためて見回すと、みんなグループ活動しているんだなあ…と
でも、なぜなんだろう?
そこには、わたしがこれまでに意識してこなかった事情と理由―社会と対峙したときの切羽詰まったこととか、これからを「創作者」として生き抜くためののっぴきならない—がありそうだなと…
そんなことで、グループで創作活動をすることの意味や意義を聞きたい。(大久保)

アーティスト志望の美大生の、卒業後の問題として時間と空間のことが大きくあると思う。 それまで制作をしていた時間は生活費を稼ぐための時間に代わり、それまでのように白くて高い壁と十分なスペースは確保できなくなる。 アーティストの先輩方と話していると、その卒業後の数年のことは「まぁそういう時期はあるよね」という語られ方をされることが多いように思う。 これもアーティストになるための一種の通過儀礼なのかもしれないし、この時期のくぐり抜け方にアーティストの個性が出てくるのかもしれない。 ただ確実にこの時期に"ふるいがかけられて"いると思う。制作をやめる人がいる。それでいいのだろうか。
仮にあらゆるアーティスト志望の美大生が卒業後も制作を続けられる環境が整ったとして、それが、近年増加傾向にあるコレクティブや情報を発信していくスタジオによって成されたものだとする。 アーティストが"辞めない分"、作品の数は増え、価値観は多様化する。コレクティブやスタジオはその中での発信や展開に時間を割かれ、その活動を客観視する機会を得ずらくなっているかもしれない。 ひょっとするとそれは、今のSNSのように沢山の声が生まれてその分だけ沢山の壁も生まれるというような、そんな光景に似ていくのではないか?もしそうだとすれば、それはいい事とは言えない気がする。 だからこそ、誰か/どこかに対して壁を感じたのなら、”そこにこそ”訪れること。そして、壁を感じたことを正直に告白して、そこから言葉を生み出すことをしなければいけない。(奥)
 
 
 
 
企画タイトル:コレクティヴ・カンファレンス
 
企画者:うらあやか、大久保あり、奥誠之、二藤建人
出演者:ARTISTS' GUILD、Ongoin Collective、gallery TOWED、国立奥多摩美術館、German Suplex Airlines、Chim↑Pom、Nadegata Instant Party、hanage、引込線2019実行委員会、ミルク倉庫+ココナッツ、四谷未確認スタジオ他
開催日時:11月4日(月)14:00~17:30
開催場所:ホール
 
 
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14:00-14:50 インタビュー:
企画者4人から各コレクティブの代表者へインタビューを行う。

14:50-15:40 ディスカッション:4つのトピック(「サバイブ」「業界」「態度表明」「戒律」※下記に補足有)を全参加者が4グループに分かれてディスカッションを行う(グループ間は行き来自由)。

ー休憩ー

15:50-16:30 ディスカッション:よりドメスティックなトピックを全参加者が複数グループに分かれてディスカッションを行う(グループ間は行き来自由)。

16:30-17:10 フリートーク

17:10-17:30 まとめ

 ※4つのトピックについて
- サバイブ
集団を運営していく上での経済的な工夫について。集団化したことによる利点or欠点。など
- 業界
アートシーン(に限らず)その集団が属する業界について。業界との距離。俯瞰してみる業界のいま。など。
- 態度表明
集団として持つ社会的な態度について。 社会的な問題に対しての態度を表明するorしない。など。
- 戒律
集団の組織化について。 戒律(ルール)があるorない。あった場合それがどう作用しているか。など

<企画者による趣旨説明>
そもそもの動機について、
ひととつるまず、個人で創作活動を行ってきた自分が、謀らずとも、つるみ、協働し、連帯し、企画を立ち上げ、運営し、困難を乗り越える集団の、期間限定ではあるが、いちおうのまとめ役となっている今...
あらためて見回すと、みんなグループ活動しているんだなあ…と
でも、なぜなんだろう?
そこには、わたしがこれまでに意識してこなかった事情と理由―社会と対峙したときの切羽詰まったこととか、これからを「創作者」として生き抜くためののっぴきならない—がありそうだなと…
そんなことで、グループで創作活動をすることの意味や意義を聞きたい。(大久保)

アーティスト志望の美大生の、卒業後の問題として時間と空間のことが大きくあると思う。 それまで制作をしていた時間は生活費を稼ぐための時間に代わり、それまでのように白くて高い壁と十分なスペースは確保できなくなる。 アーティストの先輩方と話していると、その卒業後の数年のことは「まぁそういう時期はあるよね」という語られ方をされることが多いように思う。 これもアーティストになるための一種の通過儀礼なのかもしれないし、この時期のくぐり抜け方にアーティストの個性が出てくるのかもしれない。 ただ確実にこの時期に"ふるいがかけられて"いると思う。制作をやめる人がいる。それでいいのだろうか。
仮にあらゆるアーティスト志望の美大生が卒業後も制作を続けられる環境が整ったとして、それが、近年増加傾向にあるコレクティブや情報を発信していくスタジオによって成されたものだとする。 アーティストが"辞めない分"、作品の数は増え、価値観は多様化する。コレクティブやスタジオはその中での発信や展開に時間を割かれ、その活動を客観視する機会を得ずらくなっているかもしれない。 ひょっとするとそれは、今のSNSのように沢山の声が生まれてその分だけ沢山の壁も生まれるというような、そんな光景に似ていくのではないか?もしそうだとすれば、それはいい事とは言えない気がする。 だからこそ、誰か/どこかに対して壁を感じたのなら、”そこにこそ”訪れること。そして、壁を感じたことを正直に告白して、そこから言葉を生み出すことをしなければいけない。(奥)