デザイン:東間 嶺

 
デザイン:東間 嶺

東間 嶺×吉川陽一郎(&開)オープン・スタジオ・イベント
「 TORIGOYA 」
 
企画:東間 嶺
東間 嶺・吉川陽一郎・吉川 開
 
場所:TORIGOYA(アトリエ・トリゴヤ)
日時:2020年2月2日,9日,16日,22日,23日,24日
12:30 - 日が暮れるまで
 
■【日本ではアート買うって事は、百害あって一理無しな土壌なんだよね】村上隆が正月明け早々にツイート(※)した愚痴から遡ること五十八年前、1961年の冬。『The Store』という、現代アート史に残る実験が、既に有名となりつつあった青年美術家クリス・オルデンバーグによって試みられた。
■ 『The Store』は、NYの下町にあったかれの作品制作スタジオに展示ギャラリーや即売ショップなどを直結させ、そこでオルデンバーグは、身の回りに溢れる食べ物や衣服などの日用品(消費文化の産物)を針金と布と石膏とを使った彫刻に変え、訪れる人々へ安価で販売した。制作と行為と消費を一体化させるかれのふるまいは、カプローの理論を下敷きにしたローキー型ハプニングであり、アートというシステムに対するメタ批評的な企てだったと言われている。
■ 四年後、『The Store』は閉店するが、それはオルデンバーグが破産したからではなく、まったく逆に、活況を呈する60年代のNYでアーティストとして途方もない成功を収め、キュレーターである妻と共に芸術界へと華々しく迎え入れられたため、「実験」でちまちまと小商(こあきない)などする必要がないほどの金銭が転がり込むようになったからだ。その後、オルデンバーグが『The Store』の試みを重要なものとして顧みた気配はない。ギャラリストからの要求に応えて「傑作」を生み出し続けたかれは押しも押されもせぬ「巨匠」となり、齢九十を超えたいまも健在である。
■ さて、時は流れて2020年の現在。暖冬の気配が濃厚な二月の各週日曜日、オリンピックを控えた巨大都市東京の周縁部、町田市三輪郊外に存在する元養鶏場のスタジオで、「『The Store』…の、ようなもの」が開かれることになった。無論『TORIGOYA』と呼ばれるそのスタジオと、「の、ようなもの」は、オルデンバーグ本人といっさい関わりがない。「の、ようなもの」は、三十年前からスタジオを拠点に制作を続ける初老の彫刻家と、彫刻家の息子、学生時代から彫刻家を撮影し続ける中年美術家という三人の男たちが、はるか昔オルデンバーグが放り捨てた『The Store』の胚胎する可能性を蘇生させようとする、ごくごくささやかな試みとして、実施される。
■ どういうことか?日曜の午後、小田急線を降り、鶴見川を横目に歩いてはるばるスタジオを訪れる奇特な来訪者が出会うのは、まず、小さな庭に鉄球と鉄棒と紐を使って「円を描き歩き続ける」彫刻家、あるいは先に訪れていた、これまた奇特な先行者の姿だ。円の中心軸となる鉄棒にかぶせられた金属製のコップがギャリギャリガラガラと音をたて、シーシュポスの罰がごとく終わりなき歩行をにやにやしながら続ける彼彼女たち。来訪者は、それが作品の「実演」であり、自身も加わることができるのだと説明される。そして、気が向いた者は同じように歩いたのち(急ぐ者は促されるまますぐ)廃屋にしかし見えない裏手入り口から薄暗い平屋へと入る。
■ スタジオ内部には、過去その空間で取り組まれた創作の過程がうつされた大判写真が、入り組んだ梁から所狭しとぶら下がっている。撮ったのは表で歩いている美術家であり、写っているのは、殆どが彫刻家である。写真を眺めつつ、よくよく周囲に注意を払えば、写されたかれの作品(の一部)をじかに発見することができるし、ものによっては買うこともできる。
■ 表へ戻り、おんぼろの山小屋めいたスタジオの共有スペースに腰を下ろせば、キッチンからでてきた彫刻家の息子が、かれ自身の営む漂白のカフェ『ムーンサイド』として、一杯百円の珈琲を提供してくれる。運がよければ、キッチンに在庫してあるインスタントラーメンが湯気をあげ、近隣から採ってきた根菜のおでんが煮えているだろう。歩き疲れた彫刻家や美術家がベンチに座っていれば、大いに自身と作品と「の、ようなもの」について講釈してくれるだろう。そうこうしているうちに日は暮れ、「の、ようなもの」での一日が終わる。
■ 以上、「の、ようなもの」を訪れた人々は、展示物を観るばかりでなく、作者たちと共に歩きまわって廃屋の匂いを嗅ぎ、紙コップの珈琲やおでんや袋麺でくつろいだのち、気が向けばなにがしか作品を買いもとめ、帰路につく。それが一体何になる?どんな意味がある?問えば、男たちは、「ここに未来を打ち立てているのだ。アートの」と答えるだろう。正気か?狂気に近い勘違いか?まじなのか?ネタなのか?確認し、判断するのはあなた自身である。ようこそ『TORIGOYA』へ。 
 

HP/En-Soph エンソフ

 


 
撮影:東間 嶺

東間 嶺×吉川陽一郎(&開)
オープン・スタジオ・イベント
「 TORIGOYA 」
 
企画:東間 嶺
東間 嶺・吉川陽一郎・吉川 開
 
場所:TORIGOYA(アトリエ・トリゴヤ)
日時:2020年2月2日,9日,16日,22日,23日,24日
12:30 - 日が暮れるまで
 
■【日本ではアート買うって事は、百害あって一理無しな土壌なんだよね】村上隆が正月明け早々にツイート(※)した愚痴から遡ること五十八年前、1961年の冬。『The Store』という、現代アート史に残る実験が、既に有名となりつつあった青年美術家クリス・オルデンバーグによって試みられた。
■ 『The Store』は、NYの下町にあったかれの作品制作スタジオに展示ギャラリーや即売ショップなどを直結させ、そこでオルデンバーグは、身の回りに溢れる食べ物や衣服などの日用品(消費文化の産物)を針金と布と石膏とを使った彫刻に変え、訪れる人々へ安価で販売した。制作と行為と消費を一体化させるかれのふるまいは、カプローの理論を下敷きにしたローキー型ハプニングであり、アートというシステムに対するメタ批評的な企てだったと言われている。
■ 四年後、『The Store』は閉店するが、それはオルデンバーグが破産したからではなく、まったく逆に、活況を呈する60年代のNYでアーティストとして途方もない成功を収め、キュレーターである妻と共に芸術界へと華々しく迎え入れられたため、「実験」でちまちまと小商(こあきない)などする必要がないほどの金銭が転がり込むようになったからだ。その後、オルデンバーグが『The Store』の試みを重要なものとして顧みた気配はない。ギャラリストからの要求に応えて「傑作」を生み出し続けたかれは押しも押されもせぬ「巨匠」となり、齢九十を超えたいまも健在である。
■ さて、時は流れて2020年の現在。暖冬の気配が濃厚な二月の各週日曜日、オリンピックを控えた巨大都市東京の周縁部、町田市三輪郊外に存在する元養鶏場のスタジオで、「『The Store』…の、ようなもの」が開かれることになった。無論『TORIGOYA』と呼ばれるそのスタジオと、「の、ようなもの」は、オルデンバーグ本人といっさい関わりがない。「の、ようなもの」は、三十年前からスタジオを拠点に制作を続ける初老の彫刻家と、彫刻家の息子、学生時代から彫刻家を撮影し続ける中年美術家という三人の男たちが、はるか昔オルデンバーグが放り捨てた『The Store』の胚胎する可能性を蘇生させようとする、ごくごくささやかな試みとして、実施される。
■ どういうことか?日曜の午後、小田急線を降り、鶴見川を横目に歩いてはるばるスタジオを訪れる奇特な来訪者が出会うのは、まず、小さな庭に鉄球と鉄棒と紐を使って「円を描き歩き続ける」彫刻家、あるいは先に訪れていた、これまた奇特な先行者の姿だ。円の中心軸となる鉄棒にかぶせられた金属製のコップがギャリギャリガラガラと音をたて、シーシュポスの罰がごとく終わりなき歩行をにやにやしながら続ける彼彼女たち。来訪者は、それが作品の「実演」であり、自身も加わることができるのだと説明される。そして、気が向いた者は同じように歩いたのち(急ぐ者は促されるまますぐ)廃屋にしかし見えない裏手入り口から薄暗い平屋へと入る。
■ スタジオ内部には、過去その空間で取り組まれた創作の過程がうつされた大判写真が、入り組んだ梁から所狭しとぶら下がっている。撮ったのは表で歩いている美術家であり、写っているのは、殆どが彫刻家である。写真を眺めつつ、よくよく周囲に注意を払えば、写されたかれの作品(の一部)をじかに発見することができるし、ものによっては買うこともできる。
■ 表へ戻り、おんぼろの山小屋めいたスタジオの共有スペースに腰を下ろせば、キッチンからでてきた彫刻家の息子が、かれ自身の営む漂白のカフェ『ムーンサイド』として、一杯百円の珈琲を提供してくれる。運がよければ、キッチンに在庫してあるインスタントラーメンが湯気をあげ、近隣から採ってきた根菜のおでんが煮えているだろう。歩き疲れた彫刻家や美術家がベンチに座っていれば、大いに自身と作品と「の、ようなもの」について講釈してくれるだろう。そうこうしているうちに日は暮れ、「の、ようなもの」での一日が終わる。
■ 以上、「の、ようなもの」を訪れた人々は、展示物を観るばかりでなく、作者たちと共に歩きまわって廃屋の匂いを嗅ぎ、紙コップの珈琲やおでんや袋麺でくつろいだのち、気が向けばなにがしか作品を買いもとめ、帰路につく。それが一体何になる?どんな意味がある?問えば、男たちは、「ここに未来を打ち立てているのだ。アートの」と答えるだろう。正気か?狂気に近い勘違いか?まじなのか?ネタなのか?確認し、判断するのはあなた自身である。ようこそ『TORIGOYA』へ。 
 

 


 
撮影:東間 嶺